UJP - 1983 MZ-700,ドンキーコング,C-DOS,The BASIC

Life is fun and easy!

不正IP報告数

Okan Sensor
 
メイン
ログイン
ブログ カテゴリ一覧

  • カテゴリ 雑記 の最新配信
  • RSS
  • RDF
  • ATOM

ブログ - 1983 MZ-700,ドンキーコング,C-DOS,The BASIC

1983 MZ-700,ドンキーコング,C-DOS,The BASIC

カテゴリ : 
雑記
ブロガー : 
ujpblog 2023/4/10 19:39
 先日帰省した時に,同級生のパソコンの師匠になる鳥越と,その鳥越の師匠となる宇田に会った.
 まぁ,計算するまでも無く,40年の付き合いということだな.

 切手収集を趣味としていて,ニチイの7階あたりに切手販売店があり,そこに出入りしていた時,偶然見かけた鳥越.鳥越の目的はニチイの家電売り場にあるパソコンを使うこと.

 覚えているだけで,パソコン売り場には,MZ-700,MZ-2000,MZ-80bや,PC-8001,PC-8801,PC-9801,FM-7,パソピア7,日立ベーシックマスターレベル5,ソードM5などが並んでいました.


ラークのカセットテープケース,一般的だったのか沢山メルカリとかで売られていますね.

 鳥越は,タバコの銘柄のLarkのカセットケースに満杯に入ったカセットテープを持っていて,テープにはプログラムが収められていて,それを気前よくコピーさせてくれました.
 当時のパソコンの中でも,シャープだけはパソコンにROM-BASICを搭載しておらず,S-BASICやHu-BASICという開発言語とOSを兼ねたような環境を読み込ませで稼働させるような物でした.

 そして,ゲームを主軸とするプログラムも売られていましたが,マイコンBASIC MagazineやI/O,アスキーなどの月刊誌に載っていたBASICのプログラムを根気よく入力してテープに保存.それをお互いに交換するという事で学校を越える友達関係が増えていった感じでした.

 私がパソコンの虜になった1つが,任天堂のドンキーコングを模したゲームで「富士音響マイコンセンターRAM」というラジオ会館の中にあった会社が作っていたものが,シャープのMZ-700で動いていた事でした.


 小学6年生の頃,不良の溜まり場のゲームセンターでこのドンキーコングが流行っていて,カツアゲに怯えながら50円を握りしめて行ってた覚えがあります.上手な人はどんどん進むけど,下手だったので50円はあっという間に飲み込まれていたかな.そもそも50円1枚しか持ってないし.
 そんなゲームが無料でいくらでも遊べるので,パソコンは夢のような機械でした.


オーディオはコンポ時代に突入して倍速ダビングでもデータ欠損なしのモデルもありました(メーカ忘れた)

 カセットテープのデータは,最初はパソコンにloadしたデータをsaveしていたけれど,誰かが同じ家電売り場に置いてあるダブルカセットで高速ダビング出来る事を編み出し,大量コピー時代へ突入.

 そして,毎日のように放課後は駅前のニチイの家電売り場に入り浸るようになり,プログラミング,という名のタイピングを日々鍛錬していたのだけれど,そのうち無料でゲームできるというので上級生の不良の子たちもニチイに入り浸るように,人によってはカセットテープを永久に借りパクされたりしたようで,場所取りでも負けるようになってニチイ以外の場所を探すことに・・・

 そこで,宇田が教えてくれたのが,駅前からちょっと外れた場所にあるダイイチでした.(デオデオを経て現在のエディオン)

 ダイイチでは,まず座ってパソコンを使うことができるのと,ニチイに置いてあったパソコン以外にも,X1,MZ-1500,MZ-2500,FM-8,PC-9801F,PC-8801mkII,Apple II,コモドール,IBM 5550,カシオのFP-1000などが置いてありました.

 その頃には時代はフロッピーディスク時代に突入.最盛期はラークの10本入りカセットテープケースを2箱抱えていたけれど,そのデータをフロッピーディスクに収めるとフロッピーディスク2まい程度に収まります.重量でも100分の1という感じかな.
 でもそのカセットテープのデータをフロッピーディスクに収めるためにはノウハウが必要で,その時に教えてもらったのが,ツクモ電機の作っていた,C-DOS(Convenience DOS)でした.そこの頃にはPC-8801をメインに使っていました.


 結局のところ,カセットテープを扱う設計だったパソコンに,パソコンメーカが用意したフロッピーディスクを扱う命令を入れたDISK BASICを動かすとメモリ不足になってカセットテープのソフトが動かない.
 これらを改善したのと,テープからのローディングをしやすくしたのがC-DOSでした.

 ただでゲームをしたくてパソコンを始めたけれど,BASICを覚えてゲームを改造することも飽き,当初,どうやってカセットテープのデータをフロッピーディスクにコンバートするかという目的だった技術習得が,フロッピーディスクで提供されたコピープロテクトを回避してコピーする方法へと興味が移ってコピーが目的になるまでに時間はかかりませんでした.

 そんな時に,読み始めたのがThe BASICという技術評論社の雑誌.

The BASIC No.83 1990・4 - Internet Archive
https://archive.org/details/TheBasicNo.8319904/mode/2up

 これが硬派?で,小難しい記事のあるある雑誌だったけれど,当時29歳だった悪い先輩が,プロテクト外しのためのノウハウを連載することになったから執筆を助けてくれと言われたりしてました.
 しかし,コンピュータプログラムに対する著作権法が整備されようとしていた中で,公共性のあるプロテクト外しを堂々と載せる事に問題があることになって,連載開始2,3ヶ月前にボツになることに.

 連載は叶わなかったけれど,出稿した記事が1,2回の単発で載った記憶があります.


 まぁ,ファミコン登場前夜という時代背景.私がパソコン始めた後にファミコンが発売(1983年7月)されたけれど,ブームが来るのはその1年後でしたね.任天堂以外のゲームメーカーがファミコンカセットを出したのが起爆剤だったかと.
 当然,ファミコンがある家に行ったらドンキーコングを遊ばせてもらったけれど,3面が無いのが不満でした.

トラックバック


広告スペース
Google