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ブログ - PHS終了によせて

PHS終了によせて

カテゴリ : 
時事
ブロガー : 
ujpblog 2023/3/31 23:36
 PHSが28年の歴史に幕を下ろすというニュースが.

 PHSのサービス開始は1995年.まだインターネットは一般的じゃなかったけれど,FirstClassを使ったパソコン通信の界隈で知ったのが最初だったかな.
 その頃すでにケータイを持っている人がいたけれど,ごく一部.パーソナルに使うには費用(端末買取がなくて2万円くらいといってたような)が高かったのに,「毎月数千円で端末無料がもらえる」というので都市圏から徐々に普及していったとおもう.
 当時,ネットの友達が「新宿から出るとつながらない!」とか言ってた覚えが.

 その後,1996年2月,わたしは田舎に転勤したのでPHSは程遠く,ケータイすら電波が来ないので全くそういうのとは関係ない状態に.(必要でもなかったし)

 そして,1999年.再度首都圏に転勤したのだけれど,転職エージェントの人から「転職活動する際に必須」と言われて渋々契約したのが,やっぱりPHS.パルディオ611SというCFカードタイプになってパソコンに接続するとモデムになる端末で,それをザウルスというPDAに接続して通勤中にメールを取り込んだりしするインターネットをしてみたりしました.(首都圏だが田舎だったので通信できない問題でイライラしてた・・・)

 そして,2000年7月.どうにか転職でき,その会社で貸与されたのがドコモのドッチーモというサービスのSH811という機種.これがPHSとケータイと内線の3つが使えるもので,コンサルティング会社だったので出張時にはPHSで64Kデータ通信で社内サーバにつなげてOWA(Outlook Web Access)を使うという感じでした.

 当時は,地上だとケータイ,地下,地下鉄だとPHSが繋がりやすいという事情もあって,ドッチーモは「必ずどちらかの番号にかければつながる」かんじでしたが,SH811の端末の出来が良くなかったので,みんな常にケータイで掛けてました.内線で掛けるときは必ず社内にいることが分かっている時だけだし,PHSのほうが通話料金が安いのだけど,電話代は会社が払うので懐が痛まないという感じだったかな.
 また,ケータイの連絡帳に登録できる電話番号数が200件とか300件とかだったので,人によっては一人の電話番号に2件分も使いたくないとい人もいました.

 そして,2000年12月,iモードを主軸で稼いでいる会社に転職することになり,その会社では好きなケータイを自分で選んでよいというので,スーパードッチーモのN821iというiモード,PHS,ケータイが使える機種にしました.当時,カラー液晶のケータイN502itが爆発的に流行していたけれど,いまさらのモノクロ液晶なので変な人扱いされたな.
 先日会ったその当時の同僚も,わたしがPHSを使っていたのを強烈に覚えているとのことでした.両方使ってたんだけどな.

 2004年ごろ,ケータイが地下鉄構内などでもつながるようになり,ドッチーモの後継機もでないので,おサイフケータイに機種変と同時にPHSの電話番号ともお別れしました.


ケータイ(PDC)に対してPHS
・端末が価格が安い
・通話料が安い
・音声品質が良い
・データ通信が速い(32K,64K PDCは9.6K)
・地下でもトンネルでもつながる
・電話番号が070なので高校生扱いされる
・非常にたくさんのメーカが参入した

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