UJP - 天王寺散策

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ブログ - 天王寺散策

天王寺散策

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ujpblog 2023/3/2 23:46
 昭和が終わった年.平成の最初.進学の為に大阪に.貧困家庭なので入学金も授業料も無いから,働きながら学生をする新聞奨学生という,今考えたら現代の奴隷制度に囲われて仕事をしていた. その職場が天王寺.

 天王寺駅北口の道路を渡ってすぐにある商店街の路地に入ると,そこは阪和商店街というレトロな商店街が.


 実際の新聞配達のルートは,その手間にあった,はまゆうというビジネスホテルが最初で,パチンコ屋を何軒か回った後にこの商店街を配っていた.
 しかし,当時の店は軒並み閉店.メガネ屋も雀荘も無くなってた.元はお菓子問屋街だったこの商店街,2,3店舗あったと思うけど,これも閉店.


 最後まで残っていたワタナベ商店は去年2022年3月末で閉店したそうだ.ニッパチの法則を教えてくれたおばちゃんは元気にしているけど,おっちゃんが亡くなったと,信濃そばのおばちゃんが教えてくれた.


 ちなみに,ここでいう「ニッパチの法則」は毎年2月と8月は商店にとってお金が少ないので,その月はタダで新聞を購読するという個別契約をしていて,前任者から申し送りもないので普通に集金に行って笑いながらだけど説教された感じ.


 この商店街,当時からあるのは「信濃そば」と「新力」だけで全部入れ替わっていて,今は問屋街じゃなくて立ち飲み屋のようなものがたくさん入っている場所になっている.


 さらに裏路地に行くと,料亭 まつむらの横に思い入れのあった場所が.ここには寿司屋があって,同い年くらいのにーちゃんがいて,夕刊を配っている時間は配達用の桶を水洗いしていて,夜の集金に行ってることはスーパーカブで配達していた.当然包丁なんて持たせてもらってないんだろうなぁ...という感じだったけれど,店もないのでどうなったのだろうか.


 この辺りは悲田院町という地名で,調べると感慨深いのだけれど,ここに奉行所のような大きな門があって,3つの苗字のあり,中に入ると明治時代から建ってそうなお屋敷があっていつもおばあちゃんが集金で支払いをしてくれた.
 その近くに大きなモータープール(駐車場)があったのだけれど,それら全部まとめて巨大マンションが建っていた.
 マンションの敷地内の緑地にも一般人が入れないほどの警備体制.天王寺駅から歩いて3分程度(信号を無視すれば)なので一等地だからなぁ.

 そういえば,演劇が好きだった高町のおばーちゃん.当時でも80歳くらいだったからもう生きてないと思うけれど,集金のたびに何か食べ物をくれてたなぁ.


 大通りから続く巨大な土地の再開発をしているこの場所.昔,昭和50年代ふうの立派なドアのついた一軒家があって,そこに集金に行くと高校生くらいのおねーちゃんが対応してくれたんだよね.その子が可愛くて毎月の集金が楽しみだったけれど,たまにおばちゃんが出てくると残念だった.
 この道を通ってい時にある事件に遭遇した.
 プレスカブで集金していたのだけれど,その前に1台の車が,道に少しはみ出して停車してある車を苦労してすり抜けをしていた.私も通れないので,後ろからすり抜けるのを見守っていたのだけれど,運転手がかなり怒っているのは営業車なのにエンジンをブンブン言わせているところから感じ取れる.
 やっとすり抜けたと思ったら,運転手が車から降りてきて,車のキーか10円玉のようなものでその道にはみ出て停車していた車にガリガリと傷つけてまた自分の車に戻り走り去ろうとした.
 家から出てきた人が,その走り去ろうとした車のナンバーをメモしようとしたら,また車から大きな声を出しながら運転手が降りてきて襲い掛かったのだけれど,数人の大人にとらえられてねじ伏せられて顔を地面に押し付けら押さえ込まれてしまった.
 ほどなくして警察が到着し,連行されていってしまいました.

 その騒ぎ中,ずっとみていたのだけれど,その可愛い高校生も途中で出てきてみてたんだよね.あの高校生も一瞬の怒りで犯罪者になってしまった運転手も,現在はどうしているのだろう.

 当時,ティラミスというものを食べてみたかったけれど,ケーキ屋&喫茶店で集金の後にティラミスとミルフィーユを買って食べたことがある.とても美味しかったので,その後も何度も買って帰ったのだけれど,その店の名前は覚えてないけれど,その店があったところは餃子の王将になっていた.


 明治生命のビルがあったところは,大阪IT会計なんとかという学校になっていた.その横の路地を抜けると,天王寺公園の裏手の茶臼山方面に出るのだけれど,ここはよく捨て猫があったので,拾って育てたんだった.段ボール箱に4匹くらいいたけれど,選べないので一番最初に私の膝に乗った猫を1匹選んで.


 基本的に新聞の集金に行くとおばちゃんが出てきて,世間話をする.1件あたり50円が手取りの代金だったのだけれど,ここのおばちゃんは話がながくて,面白くもないしちょっと嫌だなと思っていたらそれが顔に出ていたか激昂.翌月からこの家は集金は別の人が行くことになりました.それが唯一の自責トラブルかな.
 現在は駐車場になってしまって一軒家の跡形もないのでどうなったんだろう.


 天王寺駅から四天王寺に行く参道沿いには商店がたくさんあるのだけれど,ハンコ屋さんがある.情報処理試験の申し込みをする際に,当時印鑑が必要だとわかって,このハンコ屋のじいちゃんに印鑑を頼んだのだけれど,なんだか数週間も時間がかかって結局,試験の申し込みには間に合わなかったけれど,吉相体の超立派なものを作ってくれました.


 当時ももう結構なおじーちゃんだったので生きてはいないだろうけれど,店舗の面影はずっと存在しています.シャッターがちょっと開いているから,誰か出入りはしているのかなぁ.


 四天王寺入り口まで来ると,深川という蕎麦屋があります.これも当時のままタイムスリップしたかのよう.食べたことがあるかなないかな.ないかなぁ...


 四天王寺の参道にある有本珈琲店.いつもランニングをきた強面のおっちゃんが焙煎をしていたのだけれど,偶然,閉店作業でおっちゃんが出てきました.元気そうでなにより.強面は健在.


 最後は,参道入り口にある釣鐘屋.ここは何人も店員がいたけれど,美人奥さんと当時1,2歳の子供がいて夕刊を配るときに受け取ってくれてたんだよね.
 覚えちゃいないだろうけれど,当時のその子供も,結構な年齢になっているはずだね.店に出てたりすれば面白いけど,今日はお祭りの日じゃないので閑散モードでした.

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