ブログ - [証言記録 兵士たちの戦争]偽装病院船 捕虜となった精鋭部隊 ~広島県・歩兵第11連隊~
このドキュメンタリーは,広島にあった陸軍の歩兵第11連隊の橘丸事件の証言.
歩兵第11連隊はイギリス領マレーからシンガポールへ1100キロを進撃したマレー作戦に参加していた事で,あこがれの軍隊だったらしい.この時の事も「波状攻撃でどんどん進む」と証言されています.
日本の戦況が悪化する中,20万員近くが戦いの中心では無くなったので敵からも見放された「遊兵」状態で,それを配置転換しようとし歩兵第11連隊も移動します.
その時に利用したのが病院船の偽装船.赤十字のマークを掲げ航行する船には,国際法で兵士や兵器の輸送が禁じられていたけれどそれを無視して輸送します.
しかし,昭和20年8月3日,あっけなくアメリカの船に捕まり,1500人を超える捕虜になってしまいます.
この中の証言で印象的なのは,こんな中でも病院船を違法に使う事に嫌悪感を抱いた事,捕虜になった時には命を失う覚悟をしたこと.捕虜になるとたとえ助かって返っても軍法会議で死刑になる.そして家族にも迷惑をかけるので,出兵の際にみんな持たされている武運長久と書かれた国旗.これには家族や近所の人の名前が書かれているので身元がバレない様に破り捨てたそうです.
どっちに向いても命が無い.よって無駄に捕虜にならずに最後に一花咲かせようという覚悟をするが,それもついえる. 広島に原爆が落ちた事を知ったから.
復員して帰郷してもがれきの山.戻る場所が無いというのも,想像すると寂しい事です.
この映像,NHKの証言アーカイブスで全て見る事ができます.
http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/bangumi/movie.cgi?das_id=D0001210034_00000
歩兵第11連隊はイギリス領マレーからシンガポールへ1100キロを進撃したマレー作戦に参加していた事で,あこがれの軍隊だったらしい.この時の事も「波状攻撃でどんどん進む」と証言されています.
日本の戦況が悪化する中,20万員近くが戦いの中心では無くなったので敵からも見放された「遊兵」状態で,それを配置転換しようとし歩兵第11連隊も移動します.
その時に利用したのが病院船の偽装船.赤十字のマークを掲げ航行する船には,国際法で兵士や兵器の輸送が禁じられていたけれどそれを無視して輸送します.
しかし,昭和20年8月3日,あっけなくアメリカの船に捕まり,1500人を超える捕虜になってしまいます.
この中の証言で印象的なのは,こんな中でも病院船を違法に使う事に嫌悪感を抱いた事,捕虜になった時には命を失う覚悟をしたこと.捕虜になるとたとえ助かって返っても軍法会議で死刑になる.そして家族にも迷惑をかけるので,出兵の際にみんな持たされている武運長久と書かれた国旗.これには家族や近所の人の名前が書かれているので身元がバレない様に破り捨てたそうです.
どっちに向いても命が無い.よって無駄に捕虜にならずに最後に一花咲かせようという覚悟をするが,それもついえる. 広島に原爆が落ちた事を知ったから.
復員して帰郷してもがれきの山.戻る場所が無いというのも,想像すると寂しい事です.
この映像,NHKの証言アーカイブスで全て見る事ができます.
http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/bangumi/movie.cgi?das_id=D0001210034_00000